2011年4月26日火曜日

プロ魂・・・



先日20年ぶりにU先生がお見えになり・・・
あまりにも若くなっているのでビックリ・・・!


20年前にお会いした時より若く見えるのです・・・


私も見た瞬間昔の知っているお客様に・・・
似ているのですがと言うと・・・


お客様がなんと言う人ですかと・・・
私が~U先生ですと答えると・・・


私だと言うので2度ビックリしました・・・




昔は札幌から旭川まで息子さんの自転車で・・・
6時間以上かけて来たこともありました・・・
着いてからプールで泳いできたと言ってました・・・
その時もビックリしました・・・


後で聞いたのですがママチャリだったそうです・・・


病院では七階に院長室があるのですが・・・
一度もエレベータに乗ったことが無いそうです・・・




今は港町で開業をしているのですが・・・
臭いのする魚は食べたことが無いと言ってました・・・
新鮮な魚はにおいが無いのですね・・・


ゴルフ場も自宅から車で七分ぐらいで行けるので・・・
先に行っているメンバーに今行くからスタート台に・・・
立っててと言うそうです・・・


なんと優雅なゴルフを楽しんでいるのでしょう・・・




プロスキーヤーと一緒にスキーを滑るので・・・
色々な方と知り合いになれたと言ってました・・・


日常は五キロ以上のダンベルを足に着けていると・・・


私も話を聞いていてこのぐらい徹底しないと・・・
若さと健康は保たれないのだと思いました・・・


プロスキーヤーでもある冒険家が自宅に来た時・・・
息子さんがリュックを動かそうと持つと・・・
重くてぎっくり腰になりそうだと言ってたそうです・・・


プロはいつも鍛えているのですね・・・


さすがエベレストを2度も制覇し時速170キロ以上で・・・
スキー滑降した冒険家です・・・



話を聞いていて私も何か目標を持てたような気がします・・・


私より十歳近く年上のU先生に少しでも近づき・・・
見習いたいです・・・


U先生いつまでもお元気で現役でいてください・・・


またお会い出来ることを楽しみにしています・・・


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2011年4月18日月曜日

ジャーナリストの記事から・・・

新聞に目を通していると・・・
気になる記事が出ていたので紹介します・・・


チェルノブイリ原発事故が起きたとき・・・
フランス人D氏は両親の仕事の都合でドイツにいた・・・


ドイツと言ってもフランス国境から車ですぐの町である・・・
D氏は当時小学生だったがドイツ政府の指示で・・・
野菜も牛乳も摂取禁止だったのを鮮明に覚えている・・・


ところが同じごろフランスでは(放射能雲は国境を越えなかった)
と発表された・・・


汚染地図報告書も他国の上には数値があったが・・・
フランスの上には(低)とだけ記入された・・・


ドイツ国境ストラスプールの青空市場では・・・
周辺やドイツ農家の野菜も売られていたそうだ・・・
子供たちも平気で戸外を走り回っていた・・・


あまりにも有名なこの発表を手がけたのが・・・
ペルラン教授である・・・


政府から全権をあたえられ現場からの報告に・・・
目を通して解釈~結論を国民に発表するのが・・・
彼の役割だった証言によると現場の科学者たちには・・・
批判も懸念もあったが同教授の決断が絶対だったのだそうだ・・・


フランス東南部一帯の若者に甲状腺がんが多発していると・・・
判断したのはそれからだいぶたってからのことである・・・


患者は原告団を結成し教授を訴えた・・・
だが因果関係を証明しきれない放射能の悪魔性である・・・


あれから25年教訓を引いたフランス科学者たちは・・・
大車輪で福島原発に向き合った・・・


職場に寝泊りしテレビに出演しまくり徹底分折を提供し
感謝されている・・・


日本にペルラン教授はいないだろうか・・・?
東電に政府に都道府県市町村に・・・
学者に自分の利害から(低)(大丈夫)を繰り返す者は・・・
いないかそして私たちは(広島)の後なにをしてきたのか・・・


現在ペルラン教授は法的には推定無罪・・・
だが国民も患者らも彼を許していない・・・


教授は彼らの恨みを死ぬまで背負う・・・
生き地獄のなかにいる・・・
フランス在住ジャーナリスト 山本三春(随想)参考

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2011年4月7日木曜日

悲しいお話・・・

 
  お客様のお父様に戦時中の頃の・・・
  話を教えていただきました・・・


  子供の頃NTT(電電公社)の近くに・・・
  住んでいたとそうです・・・


  西の方の空から米軍のグラマンが・・・
  電電公社を爆撃に来たと話してました・・・


  あまり攻撃が凄いので周りの民家は・・・
  疎開させられたと言ってました・・・


  お客様が住んでいた地域は・・・
  疎開を免れたそうです・・・




  パルプが爆撃された時周辺に煙が・・・
  たちこめ真っ白だったと・・・


  私が子供の頃煙突に爆弾が落ちたと・・・
  聞いた話です・・・


  米軍のB29は偵察機・グラマンは攻撃機・・・

  攻撃されたのは駅・電電公社・パルプ・合同酒精・・・・
  第二師団の練兵場には飛行機がなく・・・
  木で作った飛行機を攻撃していったと・・・
  話してくれました・・・


  終戦の日にラジオの前に集まるように言われ・・・
  何かおいしい物でも貰えるのかと思ったそうです・・・


  ラジオが聞きづらく周りの人と父親が泣いていたので・・・
  日本が負けたことを知ったそうです・・・

  戦時中軍は何の情報も教えず都合の悪い事は・・・
  隠したのです・・・



  昔も今もその姿勢は変わらないのです・・・


  どんな時代でも泣くのはいつも弱い国民です・・・


  私も日本人としての誇りを持っていました・・・


  地震のあった何日後からは・・・


  誇りを持てなくなりました・・・


  自然災害は別として・・・


  放射能汚染は許されません・・・


  関係者は想定外だと言ってました・・・
  想定外を想定して創らないと・・・


  大変な事態になるのです・・・!


  本当に悲しい出来事です・・・!

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