2011年4月7日木曜日

悲しいお話・・・

 
  お客様のお父様に戦時中の頃の・・・
  話を教えていただきました・・・


  子供の頃NTT(電電公社)の近くに・・・
  住んでいたとそうです・・・


  西の方の空から米軍のグラマンが・・・
  電電公社を爆撃に来たと話してました・・・


  あまり攻撃が凄いので周りの民家は・・・
  疎開させられたと言ってました・・・


  お客様が住んでいた地域は・・・
  疎開を免れたそうです・・・




  パルプが爆撃された時周辺に煙が・・・
  たちこめ真っ白だったと・・・


  私が子供の頃煙突に爆弾が落ちたと・・・
  聞いた話です・・・


  米軍のB29は偵察機・グラマンは攻撃機・・・

  攻撃されたのは駅・電電公社・パルプ・合同酒精・・・・
  第二師団の練兵場には飛行機がなく・・・
  木で作った飛行機を攻撃していったと・・・
  話してくれました・・・


  終戦の日にラジオの前に集まるように言われ・・・
  何かおいしい物でも貰えるのかと思ったそうです・・・


  ラジオが聞きづらく周りの人と父親が泣いていたので・・・
  日本が負けたことを知ったそうです・・・

  戦時中軍は何の情報も教えず都合の悪い事は・・・
  隠したのです・・・



  昔も今もその姿勢は変わらないのです・・・


  どんな時代でも泣くのはいつも弱い国民です・・・


  私も日本人としての誇りを持っていました・・・


  地震のあった何日後からは・・・


  誇りを持てなくなりました・・・


  自然災害は別として・・・


  放射能汚染は許されません・・・


  関係者は想定外だと言ってました・・・
  想定外を想定して創らないと・・・


  大変な事態になるのです・・・!


  本当に悲しい出来事です・・・!

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