2011年4月18日月曜日

ジャーナリストの記事から・・・

新聞に目を通していると・・・
気になる記事が出ていたので紹介します・・・


チェルノブイリ原発事故が起きたとき・・・
フランス人D氏は両親の仕事の都合でドイツにいた・・・


ドイツと言ってもフランス国境から車ですぐの町である・・・
D氏は当時小学生だったがドイツ政府の指示で・・・
野菜も牛乳も摂取禁止だったのを鮮明に覚えている・・・


ところが同じごろフランスでは(放射能雲は国境を越えなかった)
と発表された・・・


汚染地図報告書も他国の上には数値があったが・・・
フランスの上には(低)とだけ記入された・・・


ドイツ国境ストラスプールの青空市場では・・・
周辺やドイツ農家の野菜も売られていたそうだ・・・
子供たちも平気で戸外を走り回っていた・・・


あまりにも有名なこの発表を手がけたのが・・・
ペルラン教授である・・・


政府から全権をあたえられ現場からの報告に・・・
目を通して解釈~結論を国民に発表するのが・・・
彼の役割だった証言によると現場の科学者たちには・・・
批判も懸念もあったが同教授の決断が絶対だったのだそうだ・・・


フランス東南部一帯の若者に甲状腺がんが多発していると・・・
判断したのはそれからだいぶたってからのことである・・・


患者は原告団を結成し教授を訴えた・・・
だが因果関係を証明しきれない放射能の悪魔性である・・・


あれから25年教訓を引いたフランス科学者たちは・・・
大車輪で福島原発に向き合った・・・


職場に寝泊りしテレビに出演しまくり徹底分折を提供し
感謝されている・・・


日本にペルラン教授はいないだろうか・・・?
東電に政府に都道府県市町村に・・・
学者に自分の利害から(低)(大丈夫)を繰り返す者は・・・
いないかそして私たちは(広島)の後なにをしてきたのか・・・


現在ペルラン教授は法的には推定無罪・・・
だが国民も患者らも彼を許していない・・・


教授は彼らの恨みを死ぬまで背負う・・・
生き地獄のなかにいる・・・
フランス在住ジャーナリスト 山本三春(随想)参考

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